Professional Vision
匠の視事
ドイツマイスター眼鏡院 × プロフェッショナル
第一回 石川秀樹氏インタビュー
東京 神楽坂に佇む、言わずと知れた日本料理の名店「神楽坂 石かわ」。
料理人でもあり、石かわを始め9店舗(2026年7月現在)を展開する株式会社I1Company(アイワンカンパニー)ホールディングスを束ねる経営者でもある石川秀樹氏に仕事について視ることについて話を聞いた。
石川 秀樹
新潟県出身。20歳で上京し、23歳で料理の道に入る。2003年に独立・開業し、2008年現在の地に「神楽坂 石かわ」を開店。石かわは2009年から連続でミシュランガイドの三つ星に輝く。
現在は日本を代表する料理人として石かわで腕をふるうほか、日本料理をはじめフランス料理店、イタリア料理店、ボーダレスな料理店など多様な店舗を手掛け、料理界を第一線で牽引し続けている。
現在の道に進まれたきっかけを教えてください。
元々料理が好きで料理人になったというわけではないんですよ。上京してきた当時は明確な夢や目標が無かったから、消去法で選びました。当時修行していたお店の親方は、右も左も分からない若者を雇い入れ、料理の基本や働く姿勢を教えてくれた。
働き始めて2、3年は毎日のように「辞めたい」と思っていたけれど、その人を裏切れないというのが、この道にとどまった最大の理由ですね。自分のためではなく、「信じてくれた人を裏切るわけにはいかない」という覚悟があったからこそ、厳しい料理の世界でも腹をくくることができたのだと思います。
新しい一皿を考え出す時、そのアイディアの源泉は何ですか。
やはり過去からの積み重ねでしょうね。これまでの経験と現在の状況を掛け合わせて、何十回、何百回と仮説を立て、それを繰り返し実践する。日頃から意識的に物事を見たり聞いたりということもしています。やはり僕らは食べるのも仕事だから、誰かからお店を勧められたら実際に行ってみて多種多様な分野の料理を食べることもしています。
石川氏はこれまで膨大な数の心理学、宗教、哲学などの本を読んできた。
特にどんな本や思想に影響を受けましたか?
たくさんの本を読む中で自分で考えてきたことや感じたことが今の自分を形作っているので、特定のものは無いですが、一番響いたのはアドラー心理学かな。 元々僕は自己肯定感の非常に低い人間だったんです。だから、もっと頑張らなきゃ、他人に認められなきゃと足掻いて、部下にも自分のやり方を押し付ける。周りから評価されるようになってからも、常に不安と焦りに付きまとわれていました。
評価されるようになれば、自信が得られるとは限らないのでしょうか。
根本的な「自己肯定感」が無いままに成果ばかりを追い求めていると、他人から評価されてもそれは真の自信には繋がらず、単なる評価への渇望でしかないんです。その一瞬は喜べても、「もっと頑張らないと周りの人を失望させてしまうのではないか」という不安に常に追われ続けることになります。
苦しいから色々な本を読んだけれど、知識や概念だけでは人は変われないということを実感していました。でも50歳の頃に、突然これまで蓄積していた知識が無意識に繋がり、「腑に落ちる」瞬間が訪れたんです。
どんなことが「腑に落ちた」のでしょうか。
執着を手放し、今この瞬間を生きることですね。「諦める」という言葉の本来の語源は、「明らかに眺める」ということ。ネガティブな意味ではなく、現実に起こっていることを事実として見るということです。
例えば、タクシーに乗ったら運転手さんが挨拶をしなかったとする。それに対して「気持ちの良い挨拶をすべきだ」「プロなのだから不機嫌な態度を取るべきではない」といった感情や期待を絡めてしまうから苦しくなる。実際そこにあるのは挨拶がなかったという事実だけなんですよね。
事実だけを切り離して見ることで、他者や過去、未来といった「コントロールできないもの」への執着を手放すことができる。
この自己受容の体験から180度生き方が変わり、今この瞬間を自然体で生きることだけに集中できるようになりました。
「ありのままを明らかに見る」という精神的なアプローチは、身体的な「視覚」にも通じる部分がありそうですね。最初に眼鏡を作ろうと思ったきっかけと、お仕事の中で最も視覚が必要となる瞬間について教えてください。
元々肩こりが酷くて整体に通っていたんですが、この肩こりは眼から来ているのではないかとドイツマイスター眼鏡院を勧められたんです。 視ることは仕事の全てにおいて必要ですね。例えば魚のような不定型なものを切る時でも、僕たち料理人は食べる時のバランスを考え、如何に切るとおいしいか眼で視て想像しながら切るわけです。お客様の前に立つ時にも当然視覚は必要だし、全てにおいて視ることが重要となります。
最初に眼鏡を掛けた時の見え方の違いはいかがでしたか?
最初はまな板が歪んで見えて、正直少しの間掛けるのをやめてしまった。しかししばらく掛け続けてみると数週間で慣れて、悩んでいた肩こりが全く無くなりました。それまでは生まれつき左右の眼で焦点が定まらずズレて見えるのを脳で補正していたんでしょう。自分に合った眼鏡を掛けてからは無理に視界を補正する必要がなくなり、脳が休まった結果、身体の負担が軽減されたのだと思います。
近年は後進の育成にも力を注がれています。
僕は直接的に後進の教育・指導をしているという意識はなくて、その代わりに「人を育む」ということを考えています。新店舗を開店する時は、例え若くてもこの人ならできると思う人に覚悟を持って任せているので、開店後は一切口出しをしないし、売上目標もない。信頼こそが最高のマネジメントだと信じているからです。
そのような独自の経営への考え方を持たれているのはなぜですか。
僕は「根っこの経営」というのを意識しています。一般的な経営というのは売上高などの数字を目標として掲げる「枝葉の経営」ですが、売上目標があると、人を数字として見てしまう側面があると思うんです。「売上が足りないから、高いワインを出さなければ」と感じたり、お水やお茶を注文するお客様にがっかりしてしまったり。売上目標という”数字”は強くて、モチベーションも上がりやすいけれど、反面元々は従業員の心に無かったそういう面を引き出してしまうことがある。
それより僕はお店の根っこ=従業員の知識・技術・心の成長を支えたい。従業員の成長と、純粋にお客様に美味しいものを出して喜んでもらいたいという気持ちを育てることが豊かな根っこに繋がるんです。根っこがしっかりと張っていれば、自ずと枝葉は広がっていくというのが僕の考え方です。
最後に、現在最も情熱を持って取り組まれているお仕事はどのようなものですか。
常に「今この瞬間」に集中しているので、どうなりたいといった目標を立てることはしません。だから、敢えて言うなら今日のお客様に喜んでいただける料理を作り、心地良い環境を提供するということかな。それも、最善を尽くさなくてはいけないんだという執着ではなく、自然にワクワクと考えられる状態が理想です。「今」に集中していれば、自ずとやるべきことが見えてくると思っています。
石川氏の言葉の端々からは、過剰なエゴや執着を手放した「自然体」の強さと穏やかさが滲み出ていた。長年の葛藤を経てたどり着いた「現実を明らかに眺め、今を生きる」という哲学。それは決して精神論にとどまらず、数字にとらわれない「根っこの経営」の実践にしっかりと根付いている。その一貫した姿勢こそが、名店を名店たらしめ、訪れる人を惹きつけてやまず、従業員からも敬愛される石川氏の真髄なのであろう。
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